心とお金のブログ

夜叉ケ池伝説マラニック

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 毎年7月に岐阜県で行われる「夜叉ケ池伝説マラニック」というランニングのイベントがあります。 
 2020年は大会中止、2021年は距離を半分にして参加者は100名限定で開催されました。

 

大会のコンセプト(大会より)
   この大会は1300年続く”雨乞い伝説”の道程を、先人を偲びながら自らの足で追体験する事を目的とし、伝説発祥の地、安八郡神戸町より龍神が棲むという山上の池、夜叉ヶ池
(標高1100m)までの往復(約135km)をマラニックにて踏破するものである。
 それは水への畏敬の念と恵みをあわせもつ聖域に足を踏み入れることである。
絶滅の危惧におかれるヤシャゲンゴロウを守る先達としての振る舞いを求めることになります。

 私がこの大会に出場したのは1999年、2000年、2001年の3回です。
 3回とも気温が35℃を超える酷暑の中で大会が開催されました。

 二日間にわたって行われる大会で、1日目は45kmを走り坂内村で仮眠し、2日目は午前3時にスタートし、夜叉ヶ池への登山を含む90kmのコースです。

 初めて出場したときは、1日目で暑さにやられてバテバテでした。
 途中のエイドでいただいた氷を帽子の中に入れて頭や体を冷やしながら走りましたが、体力の消耗が激しく、1日目のゴールに着いたときにはぐったりしていました。
 その日は衰弱して食事ものどを通りませんでした。
 
 そんな状態でも、伝説の夜叉ヶ池には登りたいと思い、二日目もスタートしました。
 食べてないので力が出ず、それでもなんとか山頂まで登り切りました。
 相当ふらふらしていたのでしょう、途中にいたスタッフが心配し、危険な状態の選手がいるということを無線でふもとのエイドに連絡していました。
 何とか頑張って、登山口のエイドまで降りたところで待機していたスタッフに呼び止められました。
 そこで医師に診てもらい、不整脈が出ているということでドクターストップとなり、そのままリタイアしました。
 厳しい暑さを体感し、山頂までの登山も経験できたことで、来年こそはリベンジしようと決意し、収容バスに乗ってスタート地点に戻りました。

 その1年後、再び夜叉ケ池伝説マラニックに挑戦しました。
 前年の経験を踏まえ、暑さの中で走るトレーニングを積んで大会に臨みました。
 1年前と同じように気温が35℃を超える猛暑になりました。
 しかし、前回と同じような暑さの中を同じようなペースで走ったにも関わらず、十分に余力を残して1日目のゴールに到達しました。
 もちろん、夕飯も元気にしっかり食べ、二日目のスタートを迎えました。

 二日目は午前3時にスタートし、約20km先の夜叉ケ池の登山口まで走り、そこから山に登ります。
 元気に山を登り、登山口まで降りてきました。
 登山口から坂内村まで走る途中、力が出なくなってきました。全身に力が入らず、どうしたものかと思ったのですが、これは空腹だと気づき、持っていたエナジージェルを食べると復活、元通りのスピードで走れるようになりました。
 
 この時はまだウルトラマラソンなどの超長距離レースの経験がほとんどなく、こういう過酷なレースの経験を積み重ねていくことでいろんなことがわかってきます。
 自分のガソリンタンクが空になっても、ジェル1本の補給で10km以上は走れるようになるということがこのときわかりました。

 90km地点の坂内村のエイドを関門閉鎖10分前に通過し、残りは40kmあまり。
 酷暑の中、一定のペースで走り続け、午後六時過ぎに神戸町役場にゴールしました。
 
 真夏にこれだけの距離を走るというのは今の私には考えられないことで、よくあれだけ走れたものだと思います。

 その翌年も出場し、前年よりもタイムを1時間縮めて完走しました。


 この大会は、私が今まで出場した中で最も体力的に厳しいレースで、完走した2回ともゴール後二日間はほとんど動けない状態になっていました。

 これまで数多くのランニング大会に出場していますが、このレースはその中でも最も過酷なもののひとつで、しかも完走を果たしたということで、7月の終わりになるといつも思い出します。

 己の限界を超える挑戦は人を強くします。

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